さて、話を閃電騎士の戻すと製作は契約の翌年の1975年2月、生田スタジオではまだ仮面ライダーストロンガー製作中の時期から監督として東映の塚田正煕氏とエキスプロの八木功氏が渡台したそうだ(*"怪獣とヒーローを創った男たち"著:特撮映画研究会 八木氏のインタビューより)。また、造形師の若狭新一氏の証言によれば殺陣師に大野剣友会の池田力也氏と中村祐氏が参加、仕上げ仮面ライダーシリーズを手がけた映広音響(現:映広)が行ったそうだ(構成/文筆家の金田益美氏:談)。これらオリジナルと違わないスタッフが参加した現地撮影パートは過去作品アクションシーンから引用された映像と違和感なく編集されており、台湾人俳優に置き換えられてはいるもののカット割り、殺陣のタイミング、劇伴やSEと生田純度の高い映像として仕上がっている。それら作品が権利関係で現在どのような状況にあるかは分からず、クリアな映像で観ることは叶わないがご興味あれば是非ご覧頂きたい。
本ブログでは閃電騎士シリーズを生田スタジオ存続中に制作された正統な系譜と考え、可能な限り現地ロケ地を紐解いていこうと思う。